このページについて
「うん、あの程度だと別に影響はないんだらう」
さつきから、日のあたる縁側近くに縫物を持ち出していた盛子は、あんまりびつくりしたのと身体が重いのとで、立上ることを忘れてかう感嘆詞を連発しながら、あの語尾の跳ね上りを少し響かせながら、庭先に現れた人影に向つて目を瞠みはつていた。
ちょうどこの大火のあった時から二三年後ごになるでしょう、「お」の字町の「た」の字病院へ半之丞の体を売ったのは。しかし体を売ったと云っても、何も昔風に一生奉公いっしょうぼうこうの約束をした訣わけではありません。ただ何年かたって死んだ後のち、死体の解剖かいぼうを許す代りに五百円の金を貰もらったのです。いや、五百円の金を貰ったのではない、二百円は死後に受けとることにし、差し当りは契約書けいやくしょと引き換えに三百円だけ貰ったのです。ではその死後に受けとる二百円は一体誰の手へ渡るのかと言うと、何なんでも契約書の文面によれば、「遺族または本人の指定したるもの」に支払うことになっていました。実際またそうでもしなければ、残金二百円云々うんぬんは空文くうぶんに了おわるほかはなかったのでしょう、何しろ半之丞は妻子は勿論、親戚さえ一人ひとりもなかったのですから。
「せんせい!」
と、小谷は目を丸くした。欲しさうだつた。すると、逸早く、
人間の頭の廻転などというものは、その人の性質に応じて方法を講じることができるものだ。絶対のものではないし、神秘的なものでもない。苦しかったら、まず、方法を考えることだ。精神などといって、非物質的な張本にまつりあげるのは、精神を増長させるばかりで、物質的に加工しうる限度をひろげるように工夫すると、相当に細工のきくシロモノだということが分ってくる。
徳次がまだ若僧で父親の手伝ひをしていた時分には、帰るとすぐ夜通し積荷をして、明け方又下る、といふことも珍しくはなかつたが、今では荷出が一週間に一度あるかないかである。だから、三四軒あつた同業もすつかり足を洗つて、徳次が一人のこつているわけだが、彼は目先の利く他の連中のやうに先の心配なんかはちつともしなかつた。荷がない時には筏師になつた。流木を筏に組んで下るあれである。それもない時には河漁をやつた。
「あいつももう仕かたがないのですよ。『青ペン』通いばかりしているのですから。」
「まだ、まだ」
患者は満足してかへつて行つた。だが、房一は患者以上に満足していた。おれの云ひ方はあれでよかつたかな。もつと噛んでふくめるやうに話して聞かせるんだつたかなと、たつた今自分が云つたり、したことを、もう一度目の前に思ひ描きながら、房一は永い間廻転椅子の中に身をうづめていた。
向きなほつて云つた正文の声音は穏かではあつたが、その言葉とは不似合な強したゝかな調子があつた。
もともと口下手ではあつたが、まだ舌がもつれる風で、一口ごとに息をついて云つた。
今その文太郎が県会の視察旅行に出ていたので、法事の主人役は直造に廻つたのである。だが、文太郎はかういふ町内づき合をあまり好んでいなかつたから、たとへ在宅だつたにしても、直造は主人役を買つて出たであらう。